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住まいのこと|“ちょうどいい不便”が、部屋の外へ出る理由を残す

Series | Interview with Kazuko Miyazaki: Part 3—Housing

高齢者の住まいを考えるとき、安心できることや快適であることは、どうしても大事な条件になります。部屋にトイレがある。お風呂がある。ちょっとした設備も整っている。それだけ聞けば、たしかに暮らしやすそうに思えます。

けれど宮崎和加子さんの話を聞いていると、便利であることが、そのまま暮らしやすさになるわけではないのだと気づかされます。何でも部屋の中で済むようになると、人は思っている以上に外へ出なくなる。その変化を、宮崎さんは現場で何度も見てきました。

今回は、“ちょうどいい不便”という考え方を通して、部屋の中で何でも済ませられる住まいでは何が起こるのか、そしてなぜ少しだけ外に出る理由を残すことが大事なのかを考えます。

1|部屋に全部そろうと、人は出てこなくなる

    2|“ちょうどいい不便”は、不自由を与えるためではない

      3|住まいを見るとき、設備の多さだけでは見えないものがある

        まとめ|“ちょうどいい不便”が残しているもの

          1|部屋に全部そろうと、人は出てこなくなる

          高齢期の暮らしが部屋の中だけに閉じていくのは、必ずしも、その人が一人でいたいからではありません。暮らしのつくりのほうが、少しずつ人を部屋の中へ引き寄せていくことがあります。

          宮崎さんは、シェアハウスの自由さを語るなかで、こんなふうに言っていました。

          「その代わり、ほっとけばほっとけるわけだ」

          「ほっとけばみんな一人ぼっちで部屋にいるだけになります」

          さらに、こうも話しています。

          「お風呂もついて、トイレもついていると出てこないですから、部屋から」

          自由であることは大切です。誰にも気をつかわず、自分のペースで過ごせる。自分の部屋で、好きなように暮らせる。それはたしかに、暮らしの安心にもつながります。

          けれど、その自由が、部屋の中ですべてが完結する環境と結びついたとき、人は驚くほど外へ出なくなります。

          食堂へ行かなくても食事ができる。廊下を歩かなくても一日が終わる。誰とも顔を合わせなくても、特に困らない。便利さは、ときどきそうやって人を静かに部屋へとどめます。

          もちろん、人と会うために頑張ろう、という話ではありません。にぎやかに交流しよう、ということでもありません。

          ただ、部屋の中ですべてが済むようになると、顔を合わせる、ひと言交わす、数日見かけなければ気にかける。そうした小さな接点の機会が、暮らしの構造のなかから少しずつ消えていきます。

          宮崎さんが気にかけているのは、そういう静かな変化なのだと思います。

          2|“ちょうどいい不便”は、不自由を与えるためではない

          ここでいう“ちょうどいい不便”は、不便そのものを良しとする話ではありません。不自由を増やした方がよい、ということでもありません。

          宮崎さんが見ているのは、部屋の中で何でも済むようになることで、暮らしそのものの動きが静かに止まってしまうことです。

          便利さが増すこと自体は悪いことではない。安全や安心が大事なのも、その通りです。けれど、負担を減らそうとしてすべてを部屋の中で完結させると、その人の一日から、外に出る理由まで消えてしまうことがある。そこに注意が向けられています。

          だから“ちょうどいい不便”は、設備が足りないことを指しているのではありません。

          少しだけ部屋の外へ出る理由があること。暮らしが、自分の部屋だけに閉じきらないこと。そのための余白です。

          何でも部屋の中で済ませられる方が親切だ、と考えたくなることはあります。けれど、暮らしは便利さだけでは支えきれません。

          便利さを整えることと、暮らしの動きまで消してしまわないこと。

          そのあいだの加減を見る視点として、“ちょうどいい不便”という言葉が置かれているのだと思います。

          3|住まいを見るとき、設備の多さだけでは見えないものがある

          そう考えると、住まいを見るときに確かめたいのは、設備がどれだけ整っているかだけではありません。

          むしろ見ておきたいのは、その住まいがどんな一日を生み出すかです。

          必要なものが部屋の中にそろっていることは、安心につながります。けれど同時に、その安心が、暮らしを部屋の中だけで完結させていないか。そこを見落とすと、住まいの本当の姿は見えにくくなります。

          見るべきなのは、設備表に載る項目だけではありません。

          朝起きてから夜眠るまでのあいだに、どこで体を動かし、どこで人の気配を感じ、どこで自分以外の存在に触れるのか。その流れが、暮らしの中に残っているかどうかです。

          誰かと深く関わる必要はありません。毎日会話をしなければならないわけでもありません。

          ただ、自分の部屋から外へ出た先に、誰かの気配がある。見かけない日が続けば、少し気になる。そうした関係以前の接点があることが、高齢期の住まいでは大きな意味を持つのだと思います。

          つまり、住まいを見るときには、部屋の中の快適さと同じくらい、部屋の外へ暮らしが続いているかを見ておく必要があります。

          設備が整っていることと、暮らしがひらかれていることは、必ずしも同じではありません。

          宮崎さんの話が印象に残るのは、便利さそのものを否定しているのではなく、便利さだけでは暮らしは支えきれないと見ているからです。

          部屋にいられる自由を持ちながら、部屋に閉じきらずにも暮らせるか。

          そこまで含めて、住まいを考えようとしているのだと思います。

          まとめ|“ちょうどいい不便”が残しているもの

          この話が伝えているのは、不便さを残した方がよい、ということではありません。人が、誰にも気づかれないまま部屋の中だけで暮らしていく状態を、住まいのつくりの側からどう防ぐか、ということです。

          部屋にいろいろなものがそろっていれば、たしかに便利です。けれど、その便利さが、人の一日を静かに閉じてしまうこともある。宮崎さんが見ているのは、その変化なのだと思います。

          だから“ちょうどいい不便”は、設備の不足を意味する言葉ではありません。

          部屋にいられる自由を守りながら、外とのつながりまで失わないための考え方です。

          問われているのは、便利か不便かではありません。その住まいが、人を一人きりにしすぎない形になっているかどうかです。

          便利さを整えることと、暮らしを閉じきらせないこと。その両方を考えるために、“ちょうどいい不便”という言葉があるのだと思います。

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