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食卓のこと|「しょっぱい・薄い」の違いを、暮らす人たちで決める

Series | Interview with Kazuko Miyazaki, Part 2: The Dining Table

味の好みは、人それぞれです。けれど、一緒に暮らしはじめると、その違いは単なる好みではなく、毎日の食卓をどうつくるかという問いになってあらわれます。

わがままハウス山吹で宮崎和加子さんが大切にしているのも、まさにそうした違いの扱い方です。違いをなくすことではなく、違いのあるまま暮らしを続けていけること。

今回は、食卓の「しょっぱい」「薄い」というやりとりを通して、一緒に暮らす人たちがどう折り合いをつくっていくのかを考えます。

1|同じ料理を囲んでも、「ちょうどいい」はひとつではない

    2|しょっぱい人も、薄い人もいる。そのあいだで暮らしは動いていく

      3|職員が決めるのではなく、暮らす人が決める

        4|文句を言えるのは、その場に居場所があるということ

          まとめ|食卓の違いは、この家の暮らし方を映している

            1|同じ料理を囲んでも、「ちょうどいい」はひとつではない

            同じ料理を囲んでいても、「ちょうどいい」と感じる味は人によって違います。ある人には少ししょっぱく、別の人には物足りない。食卓では、そんなことがよく起こります。

            一人で暮らしているなら、自分の好みに合わせれば済むことかもしれません。けれど、誰かと一緒に暮らす場では、そう簡単にはいきません。味付けの違いは、毎日の食卓をどう続けていくかという問いにもなっていきます。

            宮崎さんは、この食卓の話を振り返るなかで、こんなふうに話していました。

            「ここは病院でも施設でもありません。一人ひとりの希望をそのまま別々に整えるのではなく、同じ食卓を囲む人たちで、どう続けていくかを考える場所なんです。」

            この言葉には、わがままハウス山吹の線引きがよく表れています。誰かの希望をそのまま正解にするのでも、誰かに我慢だけを求めるのでもない。そのあいだで、どう続けていくかを考えるのが、この家の暮らし方なのです。

            では、そうした違いが実際の食卓にあらわれたとき、この家ではどんなふうに折り合いをつけていくのでしょうか。

            2|しょっぱい人も、薄い人もいる。そのあいだで暮らしは動いていく

            ある夜の食卓でも、味付けをめぐる声が重なっていました。

            「ここの味は薄いわね。私はしょっぱい方が好きなのに」

            「いやいや、薄くなきゃだめなのよ。私は減塩じゃないと」

            けんかというほどではないけれど、それぞれに少しずつ違う気持ちがあり、その違いが言葉になっていたのです。

            しばらく話が続いたあとで、入居者の一人がこう言いました。

            「薄味で作って、しょっぱいのがほしい人は自分で足せばいい」

            それは、あらかじめ誰かが用意していた答えではありませんでした。職員が一方的に決めたやり方でもなく、その場にいた人たちの話し合いの中から出てきたひとつの案でした。

            特別な解決策ではなかったのかもしれません。何か大きなことを変えたわけでもありません。けれど、その場にいる人たちにとっては、それで十分だった。

            誰かひとりの基準をそのまま正解にするのではなく、それぞれの感覚を残したまま続けていける形が、そこで見つかったのです。

            3|職員が決めるのではなく、暮らす人が決める

            この食卓のやりとりを、ただ「うまく収まった話」と見るだけでは足りないのかもしれません。宮崎さんが繰り返し話していたのは、こういう細かなことを、職員が決めすぎないということでした。

            「原則から外れなければ、職員が決めなくていい。暮らす人が決めるんです」

            ここにあるのは、何でも個別に整えていくのではなく、暮らしの基本の線を保ちながら、その範囲でどうするかは暮らす人たちで決めていく、という考え方です。

            もちろん、何でも放っておくという意味ではありません。守らなければいけないことがあるなら、それは別です。けれど、そうではない範囲のことまで職員が正解を出してしまうと、暮らす人たちは“整えられる側”になっていきます。

            わがままハウス山吹で大事にされているのは、そうならないことです。

            違いがあることを前提にしたうえで、その場にいる人たちが「どうするのがいいか」を自分たちで考えていく。食卓の味付けのような小さな場面にも、その考え方が表れています。

            4|文句を言えるのは、その場に居場所があるということ

            こうして見ていくと、もうひとつ印象に残るのが、宮崎さんの言葉です。

            「文句を言えるっていうのは豊かな証拠」

            一見すると、文句が出ないほうが穏やかで、うまくいっているようにも見えます。けれど実際には、言っても仕方がないと思って黙っているだけ、ということもあります。

            気になっていても、言えば面倒になる。場の空気が悪くなる。どうせ変わらない。そう思って飲み込んでしまうことは、暮らしの中では案外少なくありません。

            そう考えると、食卓で「しょっぱい」「少し薄い」と言葉にできることには、別の意味が見えてきます。それは単なる不満ではなく、その場で暮らしている人として、自分の感覚を出してもよいと思えることでもあります。

            わがままハウス山吹では、そうした声が出たときに、最初からなかったことにはされません。もちろん、何でも個別に応えるわけではありません。誰か一人の望みが、そのまま通るわけでもありません。それでも、言ってはいけないことにはならないのです。

            「しょっぱい」「薄い」というごく小さな違いが、ただの好みの衝突で終わらないのは、そのやりとりを通して、この場でどう一緒に暮らしていくかが確かめられているからです。

            まとめ|食卓の違いは、この家の暮らし方を映している

            しょっぱい、薄い。食卓では、ごくありふれたやりとりです。けれど、その小さな違いをどう扱うかには、その場の暮らし方が表れます。

            わがままハウス山吹で見えてくるのは、誰かが正解を決めるのではなく、暮らす人たちのやりとりの中で、続けられる形を探していくということです。

            食卓の味付けは、ささいなことに見えるかもしれません。でも、毎日のことだからこそ、一緒に暮らす場を誰がどうつくっていくのかが、よく表れるのだと思います。

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