高齢者の暮らしと食事について考えると、栄養や献立、食べやすさの話になりやすいかもしれません。もちろん、それも大切なことです。食事を利用する人にとって、毎日の食事が用意されていることは、安心につながります。
けれど、食べることは、用意された食事だけで完結するものではありません。わがままハウス山吹では、食事を利用する人もいれば、自分で用意することを選ぶ人もいます。日々の食事とは別に、自分で買い物に出かける人もいます。
食べるものが用意されていることと、食べたいものを自分で選んで買えること。その二つは、似ているようで同じではありません。
今回は、買い物という日常の場面から、自分で選ぶことを大切にする山吹の暮らしを見ていきます。
1|自分で買いに行く時間がある
山吹では、食事を利用することも、自分で用意することもできます。ただ、食事を利用している場合でも、食べることのすべてを誰かに預けるわけではありません。
宮崎さんの話では、山吹には週に一度、移動スーパーが来るそうです。商品を積んだ車が来て、そこで小さなお店が開かれる。入居している人たちは、自分で財布を持って買いに行きます。
お菓子や果物、飲み物。そのとき食べたいものや、部屋に置いておきたいもの。食事やおやつとして出てくるものだけではなく、自分が好きなものを、自分で選ぶ時間があります。
ただ、買い物の手段は移動スーパーだけではありません。近くのコンビニへ行く人もいます。少し遠くまで出かけて、自分の買いたいものを買いに行く人もいます。
誰かに頼めば、必要なものを買ってきてもらうことはできるかもしれません。けれど、自分で出かけること、自分で棚を見ること、迷いながら選ぶことには、別の意味があります。
買い物は、物を補うためだけの時間ではありません。その日の気分や、その人の好みが表れる時間でもあります。
「今日はこれにしよう」と自分で選ぶ。その小さな判断の中に、自分の暮らしを自分で動かしている感覚が残っているのだと思います。
2|自分のタイミングで食べられる楽しみがある
買い物の意味は、買うそのときだけで終わるものではありません。山吹では、部屋で火を使うことについて、決まりがあります。けれど、それは食べる自由がなくなるということではありません。
部屋に冷蔵庫を置くことはできます。移動スーパーや近くの店で買ったものを、自分の部屋に持ち帰り、しまっておくこともできます。
お菓子や果物を買って少しずつ食べたり、夜中に小腹がすいたときのために何かを置いておいたりする人もいます。ビールやワインを買い、昼間にゆっくり楽しむ人もいます。
それは、誰かに用意された楽しみではありません。自分で選び、部屋に置いておき、好きなタイミングで楽しむものです。
自分で選んだものを手元に置いておけることは、意外と大きいのではないでしょうか。
山吹で用意される食事は、特別な施設食というより、一般的な家庭料理に近いものです。ただ、食事の取り方も一つに決められているわけではありません。
食事付きにする人もいれば、自分で用意することを選ぶ人もいます。ネット通販で弁当を買い、冷凍庫に入れておく人もいます。朝ごはんを食べない人もいれば、夕ごはんを食べずに、軽いものだけで済ませる人もいます。
毎日三食を同じように食べることだけが、暮らしではありません。
何を食べ、何を飲み、どんなものを日々の楽しみにしたいのか。何を自分の部屋に置いておきたいのか。そうしたことを自分で選べることは、暮らしの中に残しておきたい自由のひとつです。
3|選べる余地を、暮らしの中に残す
もちろん、自分で買えることを大切にする一方で、見守りが必要になることもあります。たくさん買いすぎたり、賞味期限が過ぎたものが部屋に残ったりすることもあります。おやつを食べすぎて、ごはんが進まない日もあるかもしれません。
けれど、そうしたことがあるからといって、買うという選択肢まで閉ざしてしまうわけではありません。
必要なときに声をかけ、様子を見る。その人が自分で選ぶ時間を残しながら、暮らしが続くように支える。
山吹での自由は、ただ放っておくことではありません。
できるだけ自分で選べるようにしながら、無理が出ていないかをそばで見守る関わりがあります。
形は人によって違っても、用意された食事だけに暮らしを閉じないこと。自分で食べたいものを選べる余地が残っていること。
そこに、山吹の暮らしの自由が表れているのだと思います。
まとめ|小さな買い物が、その人の暮らしを支えている
自由は、大きな決断だけにあるわけではありません。どこで暮らすかを選ぶことも自由なら、今日食べたいものを選ぶことも自由です。
買ったものを部屋に置いておくことも、少しずつ楽しむことも、その人の暮らしの一部です。
その一つひとつは、小さなことに見えるかもしれません。
けれど、その小さな選択が残っているから、自分の暮らしが自分のものであるという感覚も残っていく。
山吹の買い物の時間には、自分で選べる暮らしが、日常のささやかな場面に表れているように思います。

